ふるさとは 子供や 孫への 贈り物 本文へジャンプ
星空の公民館
小倉城跡
板橋城跡
猪倉城跡
おじいちゃんと孫の倉ヶ崎城探索
山城 in imaichi *写真をクリックすると大きな写真が現れます。


小倉城跡
小倉城の位置
 行川を挟み、日光市小倉と鹿沼市板荷との境に急峻な城山(394m)がそびえる。この城は天文元年(1532年)ころ日光山桜本坊昌安が築いたと云われている。
 小倉城を中心する一体を支配する日光山側の桜本坊の昌安法印や宗安法印らと宇都宮氏の間で激しい攻防が何度も繰り返されたという。
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山頂への道

 山頂は当方から南方にかけて展望が開け、板橋城や猪倉城をはじめ、鹿沼方面まで見渡せる要塞の地であるだけに、登山路は整備されているが急なところが多い。
 また、尾根沿いに八方館があるが、小倉城の補助的役割と説明されていた。
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小倉城

 南方のなだらかな傾斜に、下から山頂まで六段の平坦部が削平され、山頂には空堀と土塁からなる小倉城の遺跡がある。

(いまいち市史通史編別編U 今市のむらの歩み より)

* 写真をクリックすると山頂の全容がわかります。
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桜本坊の昌安法印について

 私の生まれた日光市滝ヶ原には、地元の人が桜本院と呼ぶお墓があり側に、桜本院が石に変わり蛇になって村人を困らせる蛇石。僧を切った刀を洗ったとされる毒水。馬が石になったとされる鞍石がある。

 小来川小学校の沿革史には次のような記述がある。
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織田信長の時。故ありて日光山櫻本坊昌安、他に逃げんとし、人馬通行の杜絶したる山谿を通り本村瀧ケ原にさしかかりし時、山中土民の襲撃に出会ひ土民の放されたる石火矢にあたりて無慚の最後をとげ、一念佛と化して大石になると。
 今、本村瀧ケ原に行く途中、馬石、鞍石と称する巨石二ケ在す。
今之所、川向ふに墳墓あり、石塔に天文九年正月十五日法印昌安と記せり。其後縁故ある家に祟りをなし、為に馬具一式は一旦、本村寿命院に納めしを、該寺廃寺につき、今は本村円光寺に蔵して宝物となる。毎年旧9月29日祝神と称して奉幣する家数十戸あり。

* 写真をクリックすると、石塔、蛇石等が出ます。
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板橋城(7000歩)今市地区(板橋)

登り口
登り口もしっかり整備されている。
右の画像をクリックすると案内板が出ます。
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板橋城跡
頂上に板橋城跡がある。
きれいに整備され、見晴らしも良く、同時代の他の山城も見渡せる。
70歳くらいの男性と出会った。毎日、ここまでの散歩を日課としているとのことであった。
右の画像をクリックすると市の看板が出ます。白い部分は落書きを消したものです。
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畳岩
板橋城跡の先に進むと、畳岩といわれる一枚岩にたどり着く。
天狗の一本足の下駄跡が4つあるというので探した。
それらしいのが見つかった。
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天狗岩
さらに進むと、天狗岩という看板にぶつかる。
その昔、村に災いがあると日光山から天狗が降りてきて村人を助けたという言い伝えがあるという。
この先に道が延びるが、登って来たところには出ない。戻るしかない。ここまで整備するのであれば、1周出来るようになっていればと思ってしまう。
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猪倉城及び付近
弁天沼
弁天沼湿原は日光市木和田島にある標高270メートル、広さ2ヘクタールの低層湿原です。日光市観光情報によると、6月中旬には、カキツバタが咲き始めるほか、クロツバラ、エゾミソハギ、サワギギョウなど湿地の植物が見られます。また、カラカネイトトンボの生息も確認されているという。
道が狭く、小枝が道に出ているので、車で行く時は注意が必要です。
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泉福寺
通称寺山または城山と呼ばれる山の山腹に約1,200年前に創建されたと伝えられている泉福寺があります。
境内には新四国八十八箇所の札所があり、88の石仏を巡る霊場になっています。
猪倉城あとの登り口にもなっている。この境内からの眺めはすばらしい。四季を通じてすばらしいので、心を洗う意味でも訪れる価値のある場所である。
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猪倉城跡
鎌倉時代、鹿沼氏によって築かれたという。
戦国時代(1576)、お家騒動で廃城になったという。
削平地、堀切、城塁などがしっかり残っていて、当時の思いを巡らす事が出来るので、是非、中学生・高校生に登ってほしい場所である。社会の先生が案内すると歴史の学習をするの意味が深まるのではないでしょうか。
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山桜(中猪倉琴平山境内の桜)
樹齢200年、市の天然記念物。
昔ながらの風景の残る地域である。
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