学而のお寺巡り 1/2


今回は鴨川市天津の日澄寺を特集いたします。 前半の5枚は日蓮上人小松原法難750年忌記念の絵葉書としてH25.11月に作成しました。


1. ここは天津の日澄寺です(県道からの風景)。  1995年5月描く。

 2005年2月に鴨川市と合併した天津小湊は日蓮上人生誕の地であり、日蓮  に関する史跡が沢山残されている所です日澄寺も史跡寺院の一つです。  創建は弘安5年以来48代の歴史を誇ります。


2. ここは天津日澄寺の本堂です。

日蓮上人が鎌倉から故郷に帰る途中、時の地頭   東条景信に襲われ天津の城主工藤吉隆公(妙隆院日玉)は急を聞き日蓮救出に向いましたが討死にしました   吉隆公の居城跡がここです。 本堂は平成4年に改修されました。天井画には日展日本画部門で内閣総理大臣賞 をとりました千葉県出身”石川響”画伯の龍が描かれています。


3. ここは慈母観音が安置されています万霊供養塔です。

毎朝6時にはここから時の鐘がなります。 堂に内部には鴨川出身の人間国宝”長谷川昴”先生作の慈母観音像が安置されています。


4.ここは境内にある顕彰碑です。

日蓮上人は”法華経”のなかで不惜身命という  言葉を使われています。命を惜しまず法華経の布教活動を続けました。この顕彰碑には 大きくその言葉刻まれています。時の大関”貴乃花”が横綱昇進の際決意をこの言葉で表しました。 


5.宗祖及び先史歴代の墓。

日澄寺の歴史をもう少し詳しく説明いたします。小松原法難の翌年文永2年宗祖生国巡錫のおり随行の日澄は 工藤家の住僧と宗義を論じ破折す。寺の命名は宗祖がこの僧の名をつけたものであります。 日澄は宗祖を開祖、日玉を二祖とし自らは三祖となり法脈を定礎す。その後吉隆の嫡子日隆 は寺を工藤の居城である現在の地に移しました三祖のお墓は750忌の記念で整備されました。  


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