9月1日
カルメン |
小林由佳 |
ドン・ホセ |
村上敏明 |
ミカエラ |
山口佳子 |
エスカミーリョ |
森口賢二 |
ダンカイロ |
古澤利人 |
レメンダード |
澤崎一了 |
スニガ |
矢田部一弘 |
モラレス |
岩田健志 |
フラスキータ |
渡辺文子 |
メルセデス |
小谷円香 |
9月2日
カルメン |
鮎澤由香理 |
ドン・ホセ |
大野光彦 |
ミカエラ |
斉藤紀子 |
エスカミーリョ |
飯田裕之 |
ダンカイロ |
今野博之 |
レメンダード |
根岸一郎 |
スニガ |
島田啓介 |
モラレス |
相澤圭介 |
フラスキータ |
美水香り |
メルセデス |
和久井恵津子 |
解 説
「自由」に憧れる女性のアイドル、 カルメン
ビゼーの傑作歌劇、「カルメン」の題名役ヒロインは1875年(明治8年)に
パリのオペラ・コミーク座で生を受けて以来、つねに「いま」を生き続けている。
軍隊に戻ろうとするドン・ホセ伍長を引きとめようと手の限りを尽くし、
激しい感情を露にし、「リベルタ!」と叫び続ける。リベルタ。フランス語で
「自由」を意味する言葉こそ、カルメンが150年近くにわたり、世界を魅了し
続けてきた肝(きも)であろう。
1945年(昭和20年)。日本が戦争に負け、立ち直り始めたとき、軍国主義
から民主主義への転換が叫ばれ、自由が強い説得力をもって語られた。
1951年の日本に現れたカルメンは、高峰秀子に乗り移り、おりんという
田舎娘を芸名「リリィ・カルメン」のストリッパーに変身させた。
日本初の総天然色(オールカラー)映画、「カルメン故郷に帰る」
(木下恵介監督)の音楽を担当したのは監督の実弟である木下忠司と、
若き日の黛敏郎だった。昨年亡くなった名女優、高峰秀子の存在は眩しい
ばかりで、戦後の開放かれた日本社会に現れた、自由を謳歌する女性の
象徴と受け止められた。
この映画が封切られた年、ハーフの神秘的な歌手カルメン・マキが神奈川
県鎌倉市で生まれた。17歳で劇団「天井桟敷」に加わり、1969年(昭和44年)、
世界に吹き荒れた学生運動の嵐が敗北感とともに終息へ向かう中、恩師の
寺山修司が作詞した「時には母のない子のように」で歌手として羽ばたいた。
その5年後に「私は泣いています」をヒットさせた1歳年少の歌手、りりィと
カルメン・マキが何故か、リリィ・カルメンの"娘"と思えるような世相の移り変わり。
そして77年、すっかり安定志向の定着した日本社会に2人組アイドル、
ピンク・レディーが「カルメン77」で再び、衝撃を与えた。
オペラ「カルメン」を上演する難しさは、パリもセビリアもハバナも東京も
ひっくるめて、「いま」の自由を最大限に生きる女性の魅力を嫌味なく、
最大限に、現代の観客へ届ける手腕に集中する。首都オペラに集う気鋭の
制作者、音楽家がいかに難題を克服するか、怖いながらも楽しみである。
(池田卓夫・音楽ジャーナリスト)
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2012年 |
9月 |
1日(土) |
4:00 PM 開演 |
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( 3:15 PM 開場 ) |
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9月 |
2日(日) |
2:00 PM 開演 |
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( 1:15 PM 開場 ) |
神奈川県民ホール 大ホール
(MAP↓)
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総監督 |
永田 優美子 |
指 揮 |
岩村 力 |
演 出 |
三浦 安浩 |
芸術顧問 |
奥畑 康夫
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管弦楽団 |
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 |
合 唱 |
首都オペラ合唱団
赤い靴ジュニアコーラス
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主 催 |
首都オペラ / 神奈川県民ホール
[指定管理者:
公益財団法人 神奈川芸術文化財団]
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助 成 |
芸術文化振興基金助成事業
[公財] 三菱UFJ信託芸術文化財団
[公財] 花王芸術・科学財団
[公社] 企業メセナ協議会認定
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協 力 |
横浜湘南ロータリークラブ茜会
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後 援 |
神奈川県 ・ 横浜市
神奈川県教育委員会
葉山町 ・ 葉山町教育委員会
朝日新聞横浜総局 ・ 神奈川新聞
tvk
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美 術 |
鈴木 俊朗(東宝舞台) |
照 明 |
奥畑 康夫 |
衣 裳 |
小野寺佐恵(東京衣裳) |
音 響 |
関口 嘉顕 |
舞台監督 |
徳山 弘穀 |
舞踊監督 |
横井 茂 |
ヘアー・メイク |
篠崎 圭子 |
副指揮 |
諸遊 耕史
中橋 健太郎左衛門 |
合唱指揮 |
川嶋 雄介
楠見 哲之
川辺 晶子 |
コレペティトゥーア |
長澤恵美子
森 順子
山岸真紀子
山田いづみ
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制 作 |
永田 絵美
平松 八樹
飯田 裕之
大塚 樹美
長澤恵美子
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