NHK 障害福祉賞の優秀に選ばれた
女性義肢装具士 ○橋○○子さん
左下腿切断


当ホームページ「義肢」のコーナーでも紹介していますが、日本義肢装具学会第9回学術大会で発表された「マタニティー義足」の開発に女性の、また主婦として・出産経験者としての立場から参加。男性の義肢装具士に分からない様々なことを義足に反映させ、また、その女性の不安や悩みについて親身な相談に乗って感謝されています。
今回の受賞作品には、この「マタニティー義足」の開発を中心に、えみ子さん自身の体験をつづり「切断者と義肢装具士が対等な立場に立ち、そこに生まれる信頼と親しみに満ちた、温かい人間関係の大切さ」を訴えているようです。
作品は、○橋さん自身、8歳の時に交通事故で左足を失う重傷を負い、そのときの自身の心理描写から始まります。
年頃になり、お洒落をしたい気持ちから「踵の高い靴を履きたい」「足の太さとか形がどうこう」と、義肢装具士を手こずらせ、無理なことは納得のいく説明を受け、出来ることには創意工夫をこらして、期待に応えてもらったことが、後のえみ子さんの「患者サイドに立って、個々の人格との接触を大切にする」基本姿勢の原点になったこと。
月日が流れて、結婚、出産、育児と、まるで飛ぶように過ぎて行く毎日の中で、「一度だけの人生を悔いなく生きてみたい」という思いに駆られ、私が私らしく、一人の障害者として生きてきた経験が生かされないだろうかと模索をし、行き着いたのがえみ子さんと共に人生を歩いてきた「義足」であったこと。
共に生きる足を、私も作ってみたい。子供を保育園に預けて職業訓練校の義肢装具科に通学。一念発起から10年の後、幼時から通い慣れた鉄道弘済会で働き、すでに7年の歳月が流れ、1993年にラッキーナンバー1993号で義肢装具士の国家資格を取得。24名の義肢装具士の紅一点として働いていること。
男性の中に混じって、最初は職員の迷惑にならないようにという謙虚な気持ちの中にも、「女でもできる」と、肩肘張って頑張っていた時期もあったが、女性として生かされる道は、おのずと開かれ、女性の切断者から家事労働、美しさの追求など不安や悩みの相談に乗って感謝が寄せられたこと。そして、「義肢装具士として切断者のサポートする側にいる私が、また逆にみんなに支えられている」こと。
女性としての特性を生かせる仕事として、「マタニティー義足の開発」に携わったこと。
一部原文のままに引用すると、
妊娠するということは、大きな喜びですが、不安もあります。その上、股義足の女性は歩くことさえ思うように出来なくなってしまうのですから、心理的負担は、かなりなものと察せられます。出産を断念したケースもあったそうです。女性義肢装具士が、以前からこの世界に参入していたのなら、もっと早い時期に、「マタニティー義足」は、出来ていたのではないでしょうか。
母胎と胎児の安全性を考慮し、妊娠初期から後期まで対応できるソケットが考案され、実用的な歩行が得られ、定期検診はもとより出産のため入院するまで義足をつけ、無事、男の子を出産しました。
またひとつ、不可能が可能になりました。
「夫と散歩にも行ったんですよ」と語る彼女の笑顔が、印象的でしたし、散歩という楽しみの部分に、マタニティー義足が活躍したことがとても嬉しく感じられました。
また、○橋さんは職場に、作られた手足だけど、これは自分の体の一部ですよという想いを込めて、『聞こう。話そう。考えよう。私の手、足』というタイトルのノートを置いて、ここでも、この股義足の女性はもとより、他の切断障害者からの反響も大きく、“女性にとって朗報”と、書かれていたこと。
これは○橋○○子さんが、利用者としてここを訪れていたときの経験から、義肢装具士、障害者同士の情報交換の場として作られたものであること。
そして、このノートの内容が引用され「私の励ましの一言より、もっと強く、心に訴える真実がここにある」と述べています。
一人の切断患者が今日、初めて義足をつけます。
こういう書き出しで、作品はエピローグをむかえます。

【参考文献:NHK文化厚生事業団 実践記録入選集】