学而のお寺巡り(東京。神奈川エリア) 2/2


5. ここは堀ノ内の妙法寺ですH10.8.4描く

堀の内のお祖師さま」と言はれ江戸庶民の信仰を集め現在まで 其の流れを伝えています。当山の由来はもとは真言宗の尼寺で 母の法号にちなみ日円山妙法寺と言う。 1698年元禄時代碑文谷の宗祖の霊像を妙法寺に移し身延の直末となる。 この像は日蓮42歳の時伊豆法難にあいその帰還に際し自らが開眼した像 であり除厄日蓮大菩薩、と後年の人々がよび奉る。


6. ここは厚木市金田の妙純寺です。H10.8.4描く

この寺は依智の本間重連公の邸跡である。宗祖は文永8年9月12日龍の口法難の翌日 この邸へ預かりの身となり佐渡流罪の日を待つ事となった。重連は佐渡の守護代 であり同地の地頭であった。その9月13日は仲秋の名月の夜で聖人は月天使に向かい 法華経の行者の守護に利証を顕わし給えと諌暁し給うと不思議や明星の如く大星が 降って梅の木にかかり庭の前に奇端を現わしたのが当山の縁起となっている。宗祖が ここに滞在中鎌倉では法華経に心を寄せる者僧俗の区別なく引き捕らえられ日朗上人 もその中の一人で宿屋光則の邸の土牢に幽閉されていた。彼に宛てた書簡”土牢御書 ”はここでかかれたものである。その後1274年(文永11年)4月日善上人によって 開創されたのが明星山妙純寺であり俗に”星下りの御霊跡”と称し龍の口、佐渡と 併せ”三光天使”加被力を具現化した霊跡といわれ法華信者は一生に一度は必ず 当山へ参詣するのが慣しのようである。



7. ここは鎌倉の妙本寺です。H11.6.19描く

縁起は比企大学三郎能本が宗祖と出会った所から当山の歴史が始まり 、宗門最初の建立の寺と言はれる。歴史に残る北条時政と将軍の不仲 により北条を滅ぼそうとした陰謀が発覚し逆に比企氏を謀殺されたこと に端を発した比企の乱で一夜のうちに一族は滅びてしまう。その菩提を 弔う為に一族の生き残りの能本公が自邸を捧げて法華経弘通の根本道場 としたのが始まりであり、当山の山寺号は能本の父が「長興」母が「妙本」 なる法号を宗祖より授与されたことから長興山妙本寺と呼ばれる。


8.ここは東京台東区谷中の瑞輪寺です。H19.6.21描く

当山の開山は慈雲院日新上人 日新上人は徳川家康が幼少のころの学問教育の師範であり、 身延山17世の法灯を継承された方でした。家康は天下統一後1591年教育に預かった謝儀をあらわ 日本橋馬喰町に久遠寺の布教所として200メートル四方の敷地に大久保冶右衛門の外護により瑞輪寺が創建されました。 その後の天災等により現在の地には1649年に移り再建されました。  


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