千葉県エリア 2/2


6. ここは、平賀の本土寺です。

山号は「長谷山」池上の「長栄山」鎌倉比企谷の「長興山」 (妙本寺)と共に日朗門の3長3本と言はれる名刹寺。1277年地蔵堂を寺として改め日朗上人を 請じた。其の後宗祖が「北谷山日蓮本土寺」と命名。 秋の紅葉、薫風香る紫陽花の時季は良いという.又周囲の環境は憩いの場所としてふさわしい。



7. ここは小湊誕生寺です。

日蓮上人生誕の霊跡、宗門の歴史はこの地から開かれた。日蓮は 1222年2.16当地で出生、比叡山に学び仏教の真髄は法華経にあり との信念で1253年32歳で清澄に帰り新しい宗旨を開いた。 1276年聖人の弟子日家上人が興津城主佐久間氏の援助のもと当山の基を開いた。 第82世貫主は片桐日泉。現貫主は石川日命。



8. ここは千葉県多古町の日本寺です。H10.5.5描く

宗祖外護の大檀那富木常忍(出家して中山法華経寺開祖、日常上人) は晩年現在の日本寺所在の中村へ隠棲した。1319年中山の3祖日祐上人 がここに草庵を結び常師を開基とし北総一帯に亘る布教の本拠とされたのが 当山の縁である. 15世日円上人(飯高壇林4世)が当山に普むと上人の学徳を慕う者が 蝟集した。1598年ここに「中村檀林」が発祥した。 明治初年の廃止まで300有余年輩出した学匠、巨材は極めて多い。



9.ここは野呂の妙興寺です。

千葉肴直の配下曽谷直秀が出家、道崇と号し1275年道場を建立した事から 当山の縁起が始まる。日合上人(天津の領主工藤吉隆公の舎弟)を初租とし 基を開いたものである。



10. ここは大網の正法寺です。

1458年当地の小西城主、原能登守が自邸を寺としたもので本土寺9世 日意上人を迎えて開山した。後小西檀林として徳川家康より許可され学僧900余人を拠して法脈を各地に流し た3大檀林の一つである。



11. ここは興津の妙覚寺です。

興津の城主佐久間重貞は嫡子を聖人の弟子として出家させ(日保上人)、 この地にあった釈迦堂を寺として住まわしたのが当山の起こりで末弟も出家して日家上人となる。よって妙覚、 誕生寺は両寺一根と言われている。



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