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 「…ん、んん。」
 けだるい中でもう少し横になっていたい衝動。恍惚としたまどろみの中で、現実を思い出し
た瞬間、ユカの目が開いた。
 「…あ、また寝ちゃった…。」
 昨夜のことを思い出すと、今だに紅潮してしまうユカをよそ目に、彼女の頭を抱えるように
健一郎の腕が回っている。
 いつもユカが腕枕をして欲しいとせがむからか、時々何を言わなくても二人とも果てた後に
は、彼女の頭を抱えるように健一郎の腕が回っている。
 まだ日が昇るには早い。屋敷はまだ闇の中にあった。
 息のかかるくらい近い健一郎の寝顔を見て、ユカは微笑む。
 「ふふ。」
 (意地悪だけど優しくて、強がりだけどとても心配性で。本当に子供のような、…わたしの
ご主人様。)
 隣で寝息を立てている主人の顔を見つめていると、柔かい声と共に、ユカの顔は自然にほこ
ろんだ。
 (なんか…、人が横で寝息を立ててるのって、良いなァ。好きな人だからかな。安心しても
らってるって感じがする。…そう思っても良いのかな、わたし。)
 ユカはそっと健一郎の腕を外すと、起き上がって、めくれていた布団を掛け直した。
 部屋に散らばった衣服を拾いながら、取りあえずの身仕度を整えた。
 健一郎の分も拾い終えると、彼の今日の分の着替えをベッドの脇の台に置いた。まさかこの
時間に着替えることはないだろうと思いながらも、もしも起きてしまった時の為に、置いてお
く。
 ごそっ…。
 (!?…起こしちゃった?)
 ユカがベッドの方を振り返ると、寝返りを打った健一郎の姿に目を止めた。
 静かに呼吸する音だけが聞こえる。
 ほっ、と胸をなでおろすと、ベッド脇に肘をついてに手に顎を乗せて座りこんだ。
 (触れたらきっと起きちゃうんだろうなァ。)
 ユカはぐっすりと眠っているのを見て、なんとなく寝顔に触れたくなるのを我慢した。
 (これは、私だけの時間。安心してもらっている様に感じるこの瞬間、ここが私の居場所
だ、って思えるんだもの。だから、誰も知らない私だけの時間だから、ご主人様にも内緒…。
それに起こすの、可哀相だし…。)
 少しだけ空に赤みが指してきたのが目に入った。
 「いけない、シャワー浴びる時間がなくなっちゃう。」
 洗濯物を手に、部屋を後にした。ユカは、ふと立ち止まって、扉に背を預けて俯いた。
 「いつまでも一緒にいたい…。でも、いつまで一緒にいられるんだろう。」
 自分の居場所を確認しても、いつか消えてなくなってしまうかもしれない不安がよぎる。不
安が口をついて出てしまう。
 ぎゅっと、手にしていた衣服を抱きしめた。
 「…今、今考えることじゃない。」
 さっと面を上げて、廊下の一本道を急いだ。彼女にはこれから、洗濯物と朝食の手伝いがあ
る。その前に、身仕度を整えなければならない。
 廊下に、ユカの足音が小さく響いた。
 ユカが立ち去った後の部屋で、健一郎はむくりと起き上がった。
 「…よく、見てるだけでいられるな。」
 一連の様子を見ていた彼は呆れた風に一人ごちる。間違いなく彼ならいたづらせずにはいら
れないだろう。
 用意された着替えを横目に目を細めた。
 「『お仕置き』ができないじゃないか。」
 おもむろに布団を頭から被って、もう一度ベッドに横になった。
 桐ノ宮邸が朝に包まれるまで、あともう少し…。

 END

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