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『さよなら』 セイドメイドシリーズその6

byオゾン

第1章「外出」

 残暑もようやく緩み始めた10月の秋の入り口。
山の中腹に建てられた桐ノ宮邸でも、周囲の木々は移り行く季節の変化に従い
あるものは赤く、あるものは黄金色へとその姿を変え始めていた。

いつもと変わらぬ午後、健一郎が裏山の紅葉具合でも確かめようかと
廊下を降り、裏口へ向かって歩いていた時だった。
「ぐすっ・・・・・・・ひっく・・・・」
どこからか、か細くすすり泣く少女の声を彼は耳にした。

「・・・・・ユカ?」
今日は、たまにやってくる掃除番がいる日ではない。
屋敷にいる少女はユカだけのはずである。
「ううっ・・・・・・・うくっ・・・」
かすかな泣き声を頼りに歩を進める健一郎。
それほど嫌な予感は無いのだが、彼はこういう雰囲気がとても苦手である。
嫌な過去を思い出すからだ。だが、すすり泣くようなユカの声を
そのままにするわけにはいかない。

声を辿って着いた先は彼の想像した通り、ユカの部屋の前であった。
『コンコン』
「ユカ、入るぞ」
「あ、はい」
彼女がうっかり返事してしまったのを見越して、ゆっくりとドアを
開ける健一郎。やや狭いメイド用の部屋は調度品も少なく
ベッドやタンスなどの家具も決して派手なものでは無かった。
親の借金を背負い、着の身着のままでやってきたユカである。
女の子らしくない小ざっぱりした部屋になってしまうのも仕方が無い。

ただ、いくつかの冬物や夏物は持ってきたらしく、たたまれて
あちこちに置かれた衣服が、部屋の中に散乱していた。
どうやら、衣替えの最中だったらしい。

 健一郎は、彼女に部屋を当てがった時以来ここへ来ていなかったのだが
その時とまるで変わらぬ装いを見て、思わずドキリとした。
自分はユカに何も買ってやっていない。そんな事実に改めて彼が気づく。
だが、今はユカが泣いていたのを何とかするのが先である。

「ユカ、どうかしたのか?」
「い、いえ。何でもありません」
涙ぐんだ目をぬぐい、手を後ろに回す彼女の姿は、何かを隠しているのに
間違い無い。周囲の様子から健一郎はユカの気持ちを想像してみた。
あちこちにおかれた衣服。夏物と冬物。彼女がここへ来る前に着ていた服。

「ああ、なるほどな」
たぶん衣替えの最中に昔を思い出し、涙が止まらなくなってしまったのだろう。
彼女の内心を理解し、にこりと微笑んでやる健一郎。
だが、そんな主人の表情を見たメイドは泣き顔を更に曇らせてしまった。
「・・・ご主人さまって、ずるいです」
「?」
「好きな人にも知られたくないことって、あるんですよ・・・」

 好きな人に自分の心を知ってもらえるのは幸せである。
だが、知られたくない部分を暴かれるのは、けして幸せではない。
こうして影で泣いている姿とその理由は、例え偶然であっても
ユカにとって主人に知られたくない一面だったのだ。

「あ・・・ごめん!ユカ」
心を暴くことは、相手の心を傷つけることにもなりうる。
それを悟り、とっさに謝った健一郎は。思わず彼女を抱きしめていた。
後悔と愛おしさが入り混じった感情が、ユカを抱く腕の力を強くさせた。
「いえ、いいんです。何でも知っちゃうのはご主人様の特技ですもんね」
無理に作った笑顔で何とか取り繕おうとするユカの姿が痛々しい。

「えと、どうせ分かっちゃうから教えますね」
無駄な努力をやめ、ユカは後ろ手に隠していたものを主人の前に出した。
それは、ほとんど汚れのない新品同様のセーラー服だった。
数ヶ月前までこれを着て高校へ通っていました。と、彼女は健一郎に話す。

そして、ユカは懐かしくも寂しそうな表情をさせながら
泣いていた訳をぽつりぽつりと告白していった。
「今が辛くって泣いていた訳じゃないんです。
 ただ、昔のこと・・・お父さんのこと、思い出しちゃって」
下町工場の資金繰りに困り、自殺した父親。莫大な借金を背負い
何もかも失って売られた彼女は、まだ16の少女である。
過酷な運命を受け入れるにはあまりにも若い。
多分、こうして泣いていた日が他にもあったのだろう。

 だが、健一郎は彼女をどう慰めていいのか判らずうろたえていた。
いくら相手の心が理解できても、対処の仕方を知らなければどうしようもない。
自分にできることを求め、彼は視線をさ迷わせる。
そして健一郎は、とっさに思いついたひらめきを口にした。

「そ、そういえばお前の冬服が少ないな。部屋も殺風景だし・・・
 よかったら明日、ユカの物を買いに出かけないか?」

 きょとん、という表現がふさわしい顔をさせるユカ。
彼女が驚くのも無理は無い。人嫌いな彼が自ら人混みへ出ようというのだ。
そしてユカはにっこりと微笑むと、明るく「はい!」と返事をした。
健一郎が慰めてくれたのが、ユカはとても嬉しかった。
「ふふ、外出なんて久しぶりですね」
「ははは、俺もだよ」

「ねぇ、ご主人様・・・」
ちょっぴり照れたような顔でユカが聞く。
「なんだい?」
「これって、初デートになりますよね?」

今度は健一郎がきょとんとする番だった。
一瞬の驚きの後、彼はにこやかに微笑み
「もちろん、そうだよ」
と言い、またユカを抱きしめたのだった。


          ◇

 今日は部活も無いし、友達はみんなバイトで忙しい日だったから
僕は暇つぶしに一人で駅前のデパートをぶらついていた。
金曜日の夕方、店内は明日が休みのせいでかなり混雑している。
まぁここは、このあたりで一番大きなデパートだから当然だろうな。

本を買うほど小遣いに余裕が無いので、今週の雑誌をあらかた立ち読みした僕は
帰ってからどうやって暇を潰そうか考えながらエスカレーターを下りていた。
なんだかよく判らないけど、最近妙に日常が虚しい。
今と同じ、ただゆったり下っていくだけみたいな空虚に満たされて
何か大切なものがポッカリ抜けているような・・・

そのポッカリが何なのか、ぼんやり考えているうちに
僕は、何気なく目の端に映った光景に驚いた。

僕はあの女の子を知っている。あの後姿を知っている!
華奢な背中に細い足。ストレートに伸びた黒い髪。
後ろからちらりと見えた彼女の横顔から、僕は見間違いじゃ無いのを確信した。
心臓がバクバクして、耳に血が集まって熱いのがよく判る。

 間違い無い。ユカちゃんだ!

僕とユカちゃんは、同い年で家が近いこともあって小さい頃はよく遊んだ仲だった。
ただ、中学へ上がった時に学校が違ってしまって、会う機会がだんだん減り
高校へ上がってすぐに彼女のお父さんの会社、松井精機が倒産してしまった。
そして、別れの挨拶も無いままユカちゃんは姿を消してしまったのだった。

よそ行きの服を着て、たくさんの買い物袋を持ったユカちゃんは
全然知らない背の高い男と肩を並ばせてデパートの中を歩いていた。
「あはっ、ちょっと買いすぎちゃったかな?」
「このぐらいが普通だろ。ああ、俺が半分持つよ」
「いいんですか?ありがとうございます」

ちぇっ、何が『半分持つよ』だ。僕だったら全部持ってやるのに・・・
シャツとか革靴なんかで上品に決めてる男なのに、中身は全く紳士じゃないな。
心の中で舌打ちした僕は、二人をこっそり尾行し続けていた。
どういう訳か、声をかける気にはなれなかった。

「ねぇご主人様ぁ、そっちのほう重くないですか?」
「こらユカ。人前で『ご主人様』は言わないハズだぞ」
「あっ、申し訳・・・いえ、ごめんなさい」
ユカちゃんは恥ずかしそうに空いた手で口を塞いだ。『ご主人様』?

 その一言で僕はハッキリ思い出した。
彼女が居なくなってしまった数日後に、近所のおばさん連中がしてた話題。
ユカちゃんはどこかに売られていったらしいという、下品な噂。
あの時は信じられなくてすぐ忘れたけど、今ならはっきり確信できる。
彼女は本当に売られてしまったんだ。

 助けなくちゃいけない。ユカちゃんを助けなくちゃいけない。
その考えだけが頭の中をぐるぐる回っていた。
僕は尾行を続けながら隙を覗う。どうする?どうすればユカちゃんを救える?
二人は出入り口に向かって歩いている。まずいな、ここから出たら尾行しずらいぞ。

けど、迷っているうちにチャンスは向こうからやって来た。
男がユカちゃんに荷物の番をさせて、トイレへ入って行ったのだ。
助けるなら今しかない!僕は、奴がすぐ戻って来ないのを確認すると
彼女に向かって急いで駆け寄った。

「ユカちゃん!」
「え?あ・・・ただし君?うわぁ!久しぶり〜!」
懐かしそうに笑う彼女。可愛い笑顔だったけど今は見とれてる場合じゃない。
「ほら、今がチャンスだ!逃げるんだ」
「ちょっ!逃げるって何?」
「いいから!」
「ちょっと待ってよ!」
僕は彼女の手を引っ張ると、すぐ傍の出口から商店街へと飛び出した。
なるべく早くこの場から離れるため、ユカちゃんと走り続けた。

「た・・・正君!止まって!はぁはぁ・・・もう走れない!」
路地を2、3回程くねくねと曲がり、僕とユカちゃんはようやく足を止めた。
どうやら追っ手もない様だ。人通りも少ないし、ここまでくれば大丈夫だろう。
「どうしちゃったのよぉ?いったい、はぁはぁ・・・」
「大丈夫だよユカちゃん。俺がかくまってやるから」
「かくまうって、何のこと?」
「だって・・・」

 売られていったんだろ?それを僕は助けたんだ。
彼女は、僕がそう言ったのを聞くと一瞬驚いた顔をして
それから軽くふふっと笑った。笑う?どうして?

「あのねぇ、確かにあたしは周りから見ればそうだけど・・・」
僕はユカちゃんの言う話が信じられなかった。彼女は今の生活に充実していると、
幸せを感じていると言った。売られた身なのにどうして幸せなんだ?
高校だって半年も通わないうちに辞めちゃったのになぜ?
ユカちゃんは僕の質問に、幸せの基準は人それぞれだと答えた。
けど、僕にはどうしてもそれが理解できなかった。

「じゃぁあたし、もう戻るね」
結局、ユカちゃんは今どこで働いているのかを俺に伝えると
彼女の言うご主人様の元へ駆けていってしまった。
僕は、スカートをひらひらなびかせるユカちゃんの後姿を
ただ眺めていることしか出来なかったのだった。

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