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『さよなら』 セイドメイドシリーズその6

byオゾン

第2章「出会い再び」

 翌日の土曜、僕は午後の部活を無断欠席してユカちゃんのいる町に向かった。
お金が無いから電車で3駅分の距離を自転車でこぎ進み、着いた町は
商店街の多い市街地からちょっと外れた、いわゆるベッドタウンだった。
やけに小奇麗な家が建並んでいる緩い坂を昇って
僕は自転車を走らせていく。僕の目指す先にあるのは小高い山が一つ。
ユカちゃんから聞いた話だと、どうやらあの山の中腹あたり。
そこに建っている屋敷に彼女は住み込みで働いているらしい。

 僕は、どうしてもユカちゃんの話が信じられなかった。
売られていった生活に、いったいどうすれば満足できるんだ?
その目で確かめない限り信じない。できればこのまま彼女を
連れ出して、どこか遠くへ逃げてしまおうかとも考えていた。

 いつのまにか辺りの景色は住宅街から山林へと変わっていた。
アスファルトのきつい上り坂をしばらく走る。そして陸上部の僕でもいいかげん
しんどくなり始めた時、一軒の大きな屋敷が姿を現した。

人寂しいところに建っている古びた洋館は、何だか化け物でも出そうな雰囲気だ。
自転車を道の脇に隠して、僕はこっそり近づいていく。
得体の知れない秋の虫が耳元をプンプン飛び回るのがやかましかったけど
スポーツバッグに入れっぱなしだった防虫スプレーを思い出して
どうにか追っ払う。これを使うのは夏の合宿以来だな。

僕の目の前には、ツタの絡まる高い鉄格子と大きな門が立ちはだかっていた。
これを乗り越えるのはちょっと難しそうだ。どうやって入ろう?
インターホンがあるけど、たぶん正攻法じゃ断られるに決まっている。
その時だった。僕の耳に坂の下から走ってくる車の音が聞こえた。
しめたチャンスだ!あの車が入る時を狙えば楽に侵入できるぞ。
慌てて林の中に身を隠すと同時に、どこかの食料運搬車がやってきた。

 トラックが門の前で止まる。作業服を着たおじさんが車から降りてくる。
おじさんはインターホンに向かって何やら話をすると、自力で門を開けて
中に入っていってしまった。なんだ、初めから開いていたのか。
拍子抜けしながらも僕は開けっぱなしの門から、そろそろと広い庭に侵入した。
大きな屋敷だから、どこで誰が見ているか判らない。
僕は庭の樹に隠れながら注意深く進んでいく。

さて・・・これからどうしよう?入ったはいいけど、考えてみれば
ユカちゃんがどこにいるのか判らない。こんなにでっかい家だとは
思ってなかったし。まさか誰かに聞くわけにもいかないもんな。

 しばらく庭の陰をうろうろしていると、遠くで誰かが会話をしている声に気がついた。
何か手がかりにならないかと、僕はこっそり近づいていく。
そこには、黒いスーツを着たどう見ても執事という雰囲気の老人と
使用人らしいエプロン姿の太ったおばさんが庭先で話しこんでいた。
何やら最近宅配の野菜の質が落ちたことや、秋の味覚の話をしている。

「ああそうだ、健一郎どのを見かけなかったですかな?」
「ええと、確かユカさんと一緒に離れの図書室に行かれましたよ」
「ふむ、それじゃ後にしておこう」
よしっラッキー!これは大きな手がかりだ。さっき、それっぽい倉が
建ってるのを見たから、多分あれに間違いないだろう。
二人に気づかれないように僕はこっそりとそこから離れた。

 図書室と呼ばれたそこは、やたらと窓が高いのが印象的だった。
開いている窓に手をかけてよじ登り、どうにか中に入る。
なるほど、湿気除けに床が高いからそのぶん窓も高いんだな。
感心するのはそこまでにして、僕はユカちゃんの捜索を始めた。

古い板張りの床が音を立てないよう、静かに本棚の林を進んでいく。
かすかに女の子の声が聞こえた気がして、そっちのほうへ足を向ける。

いた!彼女だ!

こんなにあっさり見つけられるなんて、きっと運命に違いない。
たぶん神様もユカちゃんを助けて欲しいのだろう。
初めて見る紺色のメイド服姿がとても似合っていて可愛いらしい。
あ、いやダメだ。似合ってちゃダメなんだ。
その時、僕は彼女と一緒にいる男の姿を見てギクリとしてしまった。
あいつだ。デパートにもいたあの背の高い奴だ!

「ちょっとぉ、やだ・・・」
「いいだろ?少しだけだよ」
「でも・・・」
なんだ?何してるんだ?おい、まさか・・・

「もぉっ、ご主人さまのエッチィ!」
「ふふ、お互い様だろ?」
「・・・・・・・・」
執事に健なんとかって呼ばれてた奴が、ユカちゃんの背中から抱きついて
いちゃついている。そいつの手がゆっくり動いてエプロンの上から彼女の胸を

「のやろぉぉっ!!」
思考はそこで止まった。とにかく許せなかった。一瞬でキレてしまった僕は
本棚の陰から飛び出すと、勢いよく奴に向かって殴りかかっていた。

「えっ?きゃっ!」
「!?」
驚いてる奴の顔へ2発、3発とコブシを浴びせるが虚しく空を切る。
攻撃に蹴りも混ぜてみるけどどういう訳か全く当たらない。

「ただし君!やめて、正君!」
「なんだ?ユカの知り合いか?」
反撃もせずに、涼しい顔でユカちゃんに聞いてる奴が憎らしかった。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
息を切らして次の攻撃を何にしようか考える。
ガードが上がっているから腹でも狙ってみようか?
そう思った途端、奴の構えてる腕が下がった。
だったら顔を・・・・・またガードが上がる。
それなら蹴りで!こちらが足を動かそうとした寸前、奴が後ろにすっと引く。

何だこいつ?俺の考えてることが判るのか?
そういえばさっきから攻撃が当たらなかったけど
よく考えてみると・・・あいつ、俺が殴ろうと『思った』瞬間。
殴り始めるんじゃなくて、考えた瞬間から避け始めてたような・・・
もしかしてこいつは人の心を読むサトリとかいう化け物か?

古びた洋館に住む人外の物の怪。そんな想像をした僕の背筋に
寒いものが走り、頭に昇っていた血が一気に引いてしまった。
こいつに勝てるのか?勝ってユカちゃんを救えるのか?
こっちの思考を読んだのか、奴が僕を見てにやりと笑う。

「殴る場所を見る。動く直前に息を吸う。そんなんじゃバレバレだぞ」
「?・・・・・・・・あ!」

そうか、なるほど。あいつは僕の心を直接読んでいた訳じゃない。
目線と呼吸を観察して、こっちがどう動くか予想してただけなんだ。
だったらどうすれば、どうすればユカちゃんを・・・

「このぉぉっ!」
「おいおい、まだやるのか?」
僕は、もう一度奴に殴りかかった。
だけど殴る動作はフェイントだ、今度はさっきと違う。
僕の手には、ズボンの後ポケットに入れておいた防虫スプレーがある。
『シュゥゥッ!』
「うわっ!?」
さすがにこれは予想外だったらしく、あいつはびっくりして顔を覆った。
よし、目さえ封じればこっちのもんだ。
『ドカッ!!』
「ぐっ!」
すかさず胴体に蹴りを入れ、奴の長身をフロアに転がす。

「ご主人さま!」
奴を気遣うユカちゃんの声にムッとした僕は
倒れた奴へ馬乗りになり、渾身の力を込めて殴りかかった。

「でりゃあぁっ!」
『バシッ!』
僕の拳が奴の顔に当たる・・・はずだった。けど、それは当たる直前に
あいつの手のひらで防がれてしまった。う、嘘だろ?目が見えないはずじゃ・・・
「言っただろ?それだけ叫べばバレバレなんだよ」
涙を流す目を閉じたまま、奴が薄笑いで答えた。

『ガシッ!』
鼻先に一発、きついパンチが飛ぶ。血生臭い、熱くぼやっとした感覚が脳に広がり
僕はその場に転がった。続いて腹に一発鋭い蹴りを入れられ、呼吸が止まる。
しまった、圧し掛かったりなんかしたら一発で顔狙いだって分かるじゃないか。
殴るタイミングも掛け声でバレてたんだ。馬鹿なことをしたよな。
「テニスと同じだな。視線と呼吸、それが全てだ」
片目を薄く開けた奴が、動けなくなった僕を見下ろしながら呟いた。

「ご主人様、大丈夫ですか!?」
ユカちゃんがハンカチを手にして、あいつの顔をぬぐっていた。
息が出来なくてうずくまっている僕を無視して、奴の心配をしていた。

「う・・・・うわぁぁぁぁぁぁあ!!」
悔しかったけど、どうしようもなかった。
図書室の床板に這いつくばった僕は
もう、その場で泣くことぐらいしかできなかったのだった。

          ◇

「どうしたんだユカ?手が止まってるぞ」
桐ノ宮邸の夕食の最中、ぼんやりとしていたユカに健一郎が声をかけた。

健一郎はユカが桐ノ宮邸にやってくるまでは、いつも書斎部屋で一人きりの
食事をしていた。しかし、この頃では食堂で健一郎とユカと老執事の三人が
揃って夕食を取るようになっていた。
皆で食事した方が楽しいから、と言うユカの提案である。
ただ、庭師と炊事係の夫婦は立場を遠慮してか、この場に来ることはなかった。

二十人以上が入れるほどの大きな食堂の隅で、TVも無く食事をするのは
やや寂しいものがあり、その寂しさを紛らわす為なのか
老執事が他愛ないことを一人で喋り続けるのが最近の食事風景である。

「ユカ?」
「・・・・えっ?はい、何でしょう?」
二度目に呼ばれた彼女がやっと気づいて返事をした。
二人の会話を気遣い、老執事は喋るのを止めて食事に移る。

ユカを顔をじっと見つめ、しばらくの間を置いてから健一郎が言った。
「昼間のあいつのことか?」
「・・・・・はい」
フォークの先に絡めたスパゲティを見つめ、ぽつりとユカが答える。

「ねぇ、ご主人様」
「なんだい?」
「あの、お願いがあるんですけど・・・」
本当にこんなことを言っていいのだろうかという怯えや戸惑いを表情に出し
彼女は上目づかいに主人の様子を覗った。
「・・・言ってごらん」
優しくそれだけ言う健一郎。だが、彼の声も幾分緊張している。

「あの、それじゃ・・・」
唾を飲み、意を決してユカが願いを口にする。
「一日だけでいいですから、一人で外出させて欲しいんです」
「・・・・・・・・・・」
「一日だけ、ご主人様に会う前のあたしに戻るのを、許してくれますか?」
広い食堂に緊迫感のある沈黙があった。ゆっくり動く柱時計と
老執事のフォークの音だけが静かに聞こえていた。

「ユカは・・・・・誰にでも優しいんだな」
悲しそうにつぶやく健一郎。
「ご主人様・・・あの、こう言うと誤解されるかもしれないけど
 一番好きな人だけしか優しくできないんじゃ、やっぱりダメだと思うんです」
確かに、誤解されても仕方の無い言葉だった。意味を取り違えば
互いを想い、互いの愛を独占してきた今までの行為と矛盾する内容でもあるのだ。

それからユカは、決して主人を裏切らない約束を誓ったり
好きな想いと優しくしてやりたい想いの違いを説明した後
「それにその、ただ会うだけですから・・・」
と言って恥ずかしそうに口を閉じ、言葉を打ち切った。
彼とそういう行為をする気は無いと言いたいのだろう。

二度目の沈黙。重く、長い時間がしばらく続く。
「ふぅ・・・・・仕方ないな、このままだとユカも心残りなんだろ?」
そして、ため息をついた健一郎は、ようやく彼女に許しを与えた。
「一日だけだ。必ず戻ってくるって、約束してくれるならいいよ」
「ご主人様・・・あたしを、信じてくれるんですね?」
「ああ信じるよ。信じて待ってる」
彼女の微笑みに答え、精一杯優しく笑い返す健一郎。
「ありがとう・・・ございます」
張り詰めていた食堂の空気が緩み、穏やかな雰囲気に包まれる。

「よし、そうと決まったら早速電話だ。番号は判るだろ?」
「えっ?きゃっ!ちょっとそんなに急がなくても!」
椅子から立ち上がった健一郎は、ユカの手を取り彼女を急がせた。
「あの、それじゃお先に失礼します」
まだ食事中の執事にユカが声をかけ、二人は食堂から出ていく。

後には、主人の成長を喜び、ユカに感謝する老執事が一人
涙でフォークを動かせず、むせび泣いていたのだった。

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