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『夜這い−ラストチャンス−

byオゾン

第1章 「食卓編」

 土曜日の夕方。その日、俺がサッカーの部活から
疲れた体を引きずり帰ってきた時。既に親父と母さんの離婚が決定していた。

「なんでだよ! なんでいきなりそうなるんだよぉ!」
いきなり食ってかかる俺に対し、親父は一言。
「やかましい!もうすでに決まった事だ!」
と言って跳ね除ける。こっ、このクソひげ親父ぃ!

「人がやっと腹ぐぅぐぅ言わせて帰ってきて、晩飯にありつこうとした矢先に
 いきなりそれか?離婚か? 冗談じゃない!
 俺はもう3ヶ月前のレトルト食品まみれのメシなんかごめんだ!」

 帰ってくればそこにあったかい晩飯がある。
普段からそういうものを食ってる奴から見れば
ただそれだけの幸せだろうが、育ち盛りの今の俺にとっては死活問題だ。

 親父が再婚して飯が変わってからは、部活の時の動きもまるで違ってきて
1年生ですぐにもレギュラー入りか?というまでに人生が変わったのに。

「母さんも、何とか言ってよ! なんで離婚なんかするんだよ?」
 俺は右隣のテーブルで黙々と箸を進めている母さんに質問をぶつけた。
腰まである束ねた長い黒髪に、細めの清楚な顔立ち。やせっぽちな体の割には
掃除も洗濯もがんがんこなす。それが今の俺の母さんだ。

最初の頃は親父の再婚相手を『母さん』と呼ぶのはかなり抵抗があったけど
今はもうかなり慣れている。必死に詰め寄る俺に対し母さんは。
「・・・・こんな浮気者な人とは、もう一緒に暮らせません」
とだけ言った。その一言がしゃくに触ったのか、テーブルを叩いていきなり親父がぶちきれる。

「あんだと?このアマぁ! 美佳子!養ってもらってた割にはえらい強気な態度だな!おい!」
「クソひげ親父ぃ! 結局キサマが原因じゃねぇか!」
離婚の理由が親父の浮気のせいだと知った俺もいきなりぶちきれ、親父に向かって殴りかかった。

 テーブルをひっくり返して、いきなり始まる大乱闘。
再婚前の、親父と二人だけの時は日常茶飯事だったこの喧嘩も
今は何だか懐かしいくらいに久しぶりだ。

 今までは、すぐ止めに入っていた母さんも
『もう私には関係ない』といった顔で黙ったまま椅子に座っていた。
いいだろう、久々に思う存分喧嘩をするのも悪くない。

『ドゴッツ!』俺の蹴りが親父の腹にめり込み
『ゲシィッツ!』親父のこぶしが俺の頭を横殴りにする。

「てめぇ、今まで育ててやった恩を忘れたのか!
 俺の言う事が聞けねぇなら、さっさと出て行け!」
「おお?出てけだと?息子一人すら自立させられない事実をよーやく認めたかぁ!?
 そんなデクノボウだから2度も離婚されるんだよ!」
「言ったな!このクソガキがぁ!」
言葉とこぶしを交えて、たぶん町内一激しいと思われる親子喧嘩をぶちかましまくる。

我が神田川家食卓の30分一本勝負のバトルが今まさに
壮絶に盛り上がってきた時だった。

「やめて! お兄ちゃん。もうやめてよぉ!」
その叫びで俺の振り上げたこぶしがびくっと止まった。
そうだった。今は数ヶ月前とは違い、もう一人喧嘩を止めてくれる人がいるんだ。

「・・・マヤ」
「明日もうお別れなのに、なんでこんなになるのよぉ。最後の夕食なんだから
 もっとみんな仲良くできないの!?」

 その仲良くができないから別れるんだけど・・・。
ふとわいた言葉を飲み込んで俺は沈黙した。
親父も、握り締めたげんこつを下ろして「ふぅ」とため息を一つもらす。

 麻弥。俺が離婚させたくないもう一つの理由。
けど、それは絶対家族の前では言えない理由だ。
一言で説明するなら一目ボレである。

 あれは2月の半ば頃、顔合わせという事で親父と母さんと俺と彼女。喫茶店で
四人が自己紹介をした時。初めて会った彼女に、俺の心臓が激しく呼応した。
 隣に並ぶ母親を真似たのか、肩より下まで伸ばしたストレートの黒髪。
行動的で良く言えば快活。悪く言えばおてんばな女の子。

 俺の『秋』という名前の由来を聞いてきて
「ずぼらな親父が『秋に生まれた』って理由でそうしたんだよ」
と説明したら、想像どうりのあまりにも単純な理由に彼女は笑っていた。
くすくすと笑う顔がたまらなく素敵だった。

確かあの時も喫茶店の中で親父と喧嘩して、4人とも外に追い出されたんだっけ。
結局、外で喧嘩しないように面通しはその一回だけで、すぐ一緒に暮らし始めたんだ。

 俺があの時中3で、彼女が中1。
それからの家庭はある意味天国、ある意味地獄だったよな。
好きなのに、いつもすぐそばにいるのに、絶対打ち明けられない恋。
あきらめようとしても、あきらめられるもんじゃなかった。

俺が志望校になんとか合格できて、一番喜んでくれたのもあいつだった。
TVゲームの対戦格闘を、肘でこづきあって笑いながら遊んだ事もあった。

「あたしの前にいた所はねー、お祭りの花火がすっごくきれいなとこなんだよ。
 夏になったらみんなで一緒にいこうね」
TVドラマの1シーンを見ながらそんな事を家族で話した時もあった。
「おにいちゃん」とか「アキ君」とか呼んでもらえた毎日。
長いようで短かった暮らしの記憶が俺の脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。


「確か・・・あいつの実家まで6時間かかるんだよな。」
俺は、ひとりきりの自分の部屋。ベッドの上で、ぽつりとつぶやいた。
親父に殴られ、腫れた唇がまだじんじんと火照って痺れている。

 食卓の騒動から、まるで今のばらばらになった心のように
家族全部が別々の部屋に引きこもっていた。

麻弥の部屋のドアを叩いても「一人にしといて」と一言だけ。
親父は居間で酒を飲んでて、母さんは寝室で明日の朝運び出す服をたたんでいた。

 このまま麻弥と別れるのか?これで終わりにするのか?
これでいいんだと言い聞かせる俺と、こんなんじゃ収まらない!と叫ぶ俺が
頭の中でぐるぐると対峙する。ベッドの上で二つの思いが過酷な戦いをしている。
今夜で終わりだ。今日で終わらせるんだ。今日が終わりなんだ
今夜しかないんだ。今夜しかない。今夜しか、今夜しか・・・・

「今夜しかない!・・・・・よし、決めた」
俺は麻弥に自分の心を打ち明ける事にした。どうせ今夜しかないんなら
玉砕覚悟でこの思いをさらして、さっぱりさせちまおう。
このまま別れていつまでもうじうじするのは、どうにも俺らしくなくて好かない。

 しかし、今あいつの部屋に行っても追い返されるだけだしな。
どうせなら寝静まった深夜がいい。それなら二人きりの時間をたっぷり取れるし・・・

 打ち明けて、玉砕して、そのまま帰るはずだった俺は
自分でも知らない内に、成功した時の事も想定して頭の中で計画を練っていた。

こうして俺は今夜、彼女に夜這いをしかける決意をしたのだった。

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