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『夜這い−ラストチャンス−

byオゾン

第2章 「侵入編」

 時計の針は午前1時を指していた。9時から睡眠をとったから4時間ほど寝たのか。
体力は十分だ。いや、変な事する訳じゃないから体力はあまり関係ないか?
起きがけのやや混乱した頭で、俺は色々と考えをまとめる。

 彼女の部屋は2階、俺の部屋は1階の一番奥の北向き。目的地までに行くには
親父が寝ているであろう居間の前と、母さんのいる寝室の
前の廊下を通らなければならない。

階段そばのトイレに行くふりをしてそのまま2階に上がろうかとも思ったが
部屋に戻る様子がないのを怪しまれたら困る。
あくまでも隠密に行動しないといけない。


 そっと自分の部屋のドアノブを回し、音を立てないようにゆっくりドアを開ける。
いよいよ行動開始だ。

廊下の様子を覗き見る。しーんと静まり返る薄暗い廊下。
何の動きもない様子を確認してから、俺は慎重に一歩を踏み出した。

「ギシイッッツ!」『どくん!』
いきなり鳴り響く床板の音。そのせいで俺の鼓動が大きく鳴る。

 忘れてた。うちは家賃の安い古い借家だ。親父と幾度か大乱闘した時にあちこちで
床板が緩んでしまっている。体重をかけると、この廊下はすぐにきしむんだった。

一歩踏み出した姿勢のまましばらくじっとする。
・・・・・あたりの変化は無いようだ。

 軽率な行動に反省した俺は、廊下をきしませないよう四つんばいの格好になり
床板にかかる力を分散させながら進みはじめた。



 月明かりでうっすらと手前が見える程度の闇。指先で緩んでない床板を探しながら
一歩いっぽ確実に進んでいく。一歩進むのが恐ろしく長い時間に感じる。
やった事はないが、まるでフリークライミングをしているような気分だった。

一歩。また一歩。ほんの少しでも「キシリ」と音を立てるたびにぎくりとして
指の動きを止め、あたりの気配をうかがう。
変化の無いのを確認してからまた歩を進める。そんな事の繰り返し。

 ふと、俺ってこんなに慎重な奴だったかな?という疑問が頭をもたげた。
そういえば部活のキャプテンに「お前は普段は豪快だが、いざという時慎重になりすぎる」
って注意された事があったな。なるほど、こういう意味だったのか。
自分自身の性格は、他人に指摘されてやっと判る事もあるんだな、と俺は納得した。

 親父の寝ているリビング前の角を左に曲がり、ゆっくり通過する。
中からは親父独特のゲゥゲゥという妙ないびきが響いていた。問題はない。
が、知られていないと判ってはいても、自然と体が緊張してしまう。

自分の心臓がドクドクと激しく鳴り響いていた。
あたりは対照的に、しん・・・と静まり返っている
心臓の音が邪魔で周囲の音が聞こえにくいなんて初めてだった。

・・・ゆっくり、・・・ゆっくりと四つんばいのまま進んでいく。
母さんの寝ている寝室の前を通る。ここは親父以上に慎重にならないといけない。

『あたしって眠りが浅くて、少しの物音でもすぐ起きちゃうのよね』

確か、前にそう愚痴っていたっけ。たぶん、こんな夜だからいつもより
よけいに眠りが浅いに違いない。もしかしたら起きている可能性だってあるんだ。

床のきしみを一切立てないよう。慎重に息を潜めて指先で緩んでいない床板を探す。

「こほんっ」
『どくんっ!』寝室の中から聞こえた咳払いに、俺は思わずどきりとした。
体が硬直し、指一本動かせない。存在全てを殺してただじっとする。

『・・・・気がついて・・・いるのか?』

そんな疑問が頭に湧いてくる。
いや、そんなはずはない。それにもし気がついてたら
すぐさま出てきて「何してんのよ!?」と叫ぶだろう。

 数ヶ月の暮らしで母さんはかなりの潔癖性だという事はよく判っていた。
親父の浮気にも、俺と親父の喧嘩やちょっとした悪戯にも、すぐ甲高い声を出して
怒っていた。あれでよくうちのずぼらな親父と結婚する気になったもんだと思う。

「こほんっ、こほんっ・・・・ぐすっ」
二度目の咳の後に、鼻をすする音が混じる。
『・・・・・もしかして』俺はそれを聞きながら、なんとなく一つの疑問が頭によぎった。

『泣いているんだろうか?』

 いくら愛想がつきたとはいえ 、一度は結婚した相手なんだ。
それなりの未練はあるんだろう。でも、相手が悪かったよな。
前の母さんが別れた原因も親父の浮気だったんだから。
あの手癖の悪さは多分一生直らないと思う。

 色々な考えを巡らせながら、ただ時が過ぎるのを待つ。

・・・・・・・・そのまま一分ほど経過した。何も変化がない。
どうやら第二関門である母さんも無事クリアしたようだ。

夜は長いとはいえ、あまり時間はかけられない。中途半端に廊下にいれば
それだけばれる確立が高くなる。

それに、耳と指先に神経を集中して、四つんばいで歩くのはなかなか精神が疲れる。
緊張を持続させるのもそろそろ限界がきていた。


 台所前の角を右に曲がり、一階で残る道のりは玄関脇の階段への直線のみだ。
二つの難関をクリアした今、残りはそう難しくはない。
『でも、油断は禁物だよな』そう考えながら、じわじわと暗闇を進む。

右側の応接間の中から振り子時計の音だけがカチコチと響いていた。
それ以外の物音は何もない。『静かだな・・・』そう思った瞬間。
「ボーン!」突然鳴った時計の音に、俺はびくりとしてしまった。
『ちぇっ・・・驚かすなよ』心の中で振り子時計に文句を言いながらも、また進み始める。


 やっと階段の下まで来た。腕時計のミニライトをつけ、時間を確認する。
『げ、30分もたってる!』以外と時間がかかったな。でも体感時間のほうは
それよりはるかに長く感じていたから、それと比べると少ないと言えるだろう。

 さて、やっと階段下まで来れた。あとはこの階段を登るだけだ。
だが油断はいけない。ここは今以上に慎重に進む事にしよう。そこまで考えてた時だった。

「ガチャッツ!バタン!」『どくんっ!』

居間のドアが開く音がした。続いて、ドスドスと廊下を歩いてくる振動が床に響く。
『やばい!親父だ!』急いで隠れる所を探さないと!
『どくん、どくん、どくん』
どこかないか!?どこかないか!?どこかないか!?どこかないか!?

そばのドアから応接間に入るか?ドアを開ける音で気づかれる。駄目だ!
階段脇のトイレに隠れるか?多分親父の用はトイレだ。ここも無理!
玄関から外に出るか?ガラガラ音を立てる扉からなんて出られやしない!


・・・親父が近づいてきた。不精な親父は電気もつけないまま、暗い廊下を歩いてくる。
「どすどすどすどす。ガチャリ・・・・・・・じょろろろろろろろろ・・・・」

トイレに入って用を足す音が聞こえる。相変わらず長いしょんべんだ。
今、ここから出て逃げようか?と、考えてみる。
いやそれはやばい。気づかれる可能性はかなり高いだろう。
下手に動くよりはこのままじっとして危険が過ぎるのを待ったほうがいい。

「ガチャ・・・どすどす・・・」
親父は、トイレから出てくると階段の前に立ち止まる。
そして、二階を見上げたまま「ふぅ・・」とため息を一つついた。

『どくん、どくん、どくん、どくん、』
俺は、そのすぐそばで息を殺してじっとしていた。
大きく響く鼓動が聞こえやしないないだろうか? などとよくよく考えれば
心配しすぎな考えが頭をめぐる。

『どくん、どくん、どくん、どくん、』
ばれませんように、ばれませんように・・・・

 親父は、そのままぎしぎしと床板をきしませながら部屋に戻っていった。
「ガチャリ・・・バタン」居間の扉が閉まる音がして
人騒がせなクソひげ親父の動きはそこで終わった。

『助かったぁ・・・くっそーあの親父め。とことん俺の邪魔しやがって』

 玄関脇に並べてあった荷造り用の段ボールの中で俺はじっと息を潜ませていた。
底が破れていたから、使わなかったものなんだろう。
破れ目から外を覗いていたが、どうやらばれてはいないようだった。

進むのがもう少し遅かったら廊下の途中で見つかっていただろう。
もう少し早かったら階段の途中にいるのを見られただろう。
見つからなかったのはラッキーだったとしか言いようが無い。

腕時計の液晶を見つめながら数分ほど様子を見る。動きはもう、ない。
「ふぅ・・・」やっと安堵のため息をつく。
ふと、そのため息が親父と似ているのに気づいて俺は苦笑いをしてしまった。


 二階への階段は思ってたよりしっかりしていて、登るのにそんなに苦労はいらなかった。
腹ばいの姿勢ではなく、頭の位置があがっているおかげで体勢もそんなに辛くはない。
窓からは外灯の光が差し込んでくるから、明りにも不自由しなかった。

歩を進めながら、俺は何となく古本屋で立ち読みしたどこかのマンガのセリフを思い出していた。
「特に夜這いはいい! 女の子の元へ一歩いっぽ歩み寄る瞬間
 俺は『ああ生きているんだ』という充実感に涙する」

そんなセリフだったように思う。あの時は笑い飛ばしていたけど、今その気持ちが良く分かる。
好きな女の子、という目標に近づいていく事に心が充実を感じるんだ。
と同時に、まるで狩りをする肉食動物のような気分が本能を刺激しているのだろう。

心臓がどくどくと音を立てて脳の中に何かが駆け巡っているのが良く分かる。
『どくん、どくん、どくん、どくん、どくん』
確かに、俺は今この瞬間を生きているんだ。好きな子の為に生きているんだ。
自分が生きているという事をこんなに感じたのは初めてだった。


 長い階段をようやく登りきって、やっとドアの前にたどりつく。
普段なら一分とかからない距離なのに、秘密に行動するとなるとやたらと時間がかかってしまう。
自分の家のはずなのになんだか全然違う世界に来ているようだった。

『さぁ、いよいよだ・・・・』
俺は彼女の部屋へのドアノブをそっとつかむと
そのままゆっくりと時間をかけ、音を立てないように回した。

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