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『囚われる想い』 セイドメイドシリーズその7

byオゾン

第3章「陰謀の罠」

 フランスでの仕事は、予定よりずいぶん早く終わってしまった。
健一郎の有能さは、長い休みの間も衰えてはいなかったのである。

冴の渡した資料に目を通した彼は、瞬く間に要点を理解し
企画の細かな欠点を直し、全体を調整した上で万全の対策を加えた。
そして、取引相手の望むものを会話や態度から察知し、その望みが企画と
合致する事をアピールしたおかげで、全てが円滑に終わったのだった。

商談成立を祝う晩餐は、ユカが目を丸くするほどの豪華なレストランで行われた。
「ほんと、あの石頭があんなにニコニコしたの、初めて見たわ。」
小奇麗な皿によそわれたクリームスープを、銀のスプーンですくいながら
冴は商談相手の様子を思い出し、語っていた。

取引の相手は、急な仕事が入ったせいでこの場にはおらず
丸いテーブルに座るのは健一郎とユカ、冴とミヅキの四人だけである。
健一郎の右に冴が腰掛け、左にはユカ。正面にはミヅキが座っていた。

健一郎は正直、商談相手がいなくて助かったと思った。
長時間、他人と顔をつき合わせるのは、まだ心と体が慣れていない。
もし、相手がここにいたとしたら、せっかくの食事もトイレで
胃袋から戻してしまっていただろう。

だが、そんな安堵を彼はかけらも見せない。
「ま、俺がやればこんなもんだ」
普通の社員なら、出世への道が決まるであろうほどの高額な商談を
軽い運動をこなしただけのように健一郎は言い放った。

「明日はどうするの?予定が一日空いたけど」
「そうだな・・・ユカ、どっか見に行きたいとこはあるか?」
「え?・・・」

急に話を振られ、ユカは戸惑う。エッフェル塔、凱旋門、オペラ座・・・
観光パンフレットで見た名所を幾つか思い浮かべたユカだったが
ミズキのにらむような視線に気づき、慌てて考えを変えた。

「あの、あたしはいいですから奥様の行きたいところを・・・」
「心配するな。こいつは観光が仕事なんだ。今さら名所巡りしたって
 遊んでる気分にはならないよ」
「で、でも・・・」

いつもと違う彼女の戸惑いに、健一郎が違和感を覚えた時
「ちょっと、健一郎様!」
突然、ミヅキが健一郎に向かって口を開いた。
「それじゃいくらなんでも、奥様に冷たくありませんか?」
「・・・そうか?」

冷静さを装いながらも、健一郎は不意の反論に戸惑っていた。
初めに顔を合わせた時から今まで、二人はほとんど言葉を交わしていない。
無論、避けているのは健一郎の方である。
冴の夫という立場の彼に対し、不信感や嫉妬心を持つミヅキの存在は
わずかな嫌悪も感じ取れる健一郎にとって不快なのだった。

「どうしてもっと優しくできないんですか?
 最初から気になってたんですけど
 何かあるたびに付き添いのメイドばかり優先して!
 どうかしてますよ!もっと自分の奥様を・・・」
「ミヅキ!」
冴は一声上げると、唇に人差し指を立てる。『静かに』の合図である。
気づくと、周りの客やボーイの幾人かが、立ちあがったミヅキを振り見ていた。

「あ・・・す、すみません」
気まずさに声のトーンを下げ、大人しくなった彼女は
彼への抗議を諦めるとスープの続きをすくった。

「ああ、なるほどね・・・」
さっきのユカの戸惑いを健一郎は理解した。
たぶん、冴を慕っているこの娘が、妻に対する冷たい態度に腹を立て
ユカにきつい言葉で、冴を優先させるように脅したのだろう。

「何がですか?」
一人で納得してニヤリと笑った健一郎にムッとしたミヅキが聞いた。
「いや、冴のしつけがよく行き届いてるな、って思っただけさ」
「当然です。あたしはおねぇ様の付き添いなんですから」

『お姉様』うっかり出てしまったその言葉の真意を健一郎は逃さない。
「で、おしおきは裸に剥かれてベッドの上、ってわけか」
「なっ!?何言ってんですか!失礼な!」

図星の指摘に不意を突かれ、ミヅキは思わず顔を赤らめた。
どう取り繕っても、その顔は指摘されたことが事実であることを意味している。
「ははっやっぱりね。冴、お互い様のようだな」
「くっ!」
言い返すに言い返せず、冴も開きかけた口を閉じた。

それから食事が済むまでの間、からかわれた二人は押し黙り続け
健一郎に話しかけられたユカが気まずそうに返事をする中
ミヅキは嫌悪の視線を彼へと向け続けていたのだった。

          ◆

予約していたホテルに一行はチェックインを済ませた。
ミヅキの予約で4人一度に泊まる大部屋が取られていた。

「ユカの姿が見えないが、知らないか?」

4人以上が泊まれる広い室内は、内部が5、6部屋ほどに区切られており
そのせいで、同じ場所で泊まっているはずの相手を探すのにも苦労する。
健一郎がユカを探しているのも、そのせいだった。

「聞こえてるはずだろ?」
ソファに座り、本を読んでいたミヅキは
二回目の呼びかけでようやく言葉を返した。
「さぁ、あたしは知らないわよ」
だが、健一郎は彼女の口元が一瞬ほくそえんだのを見逃さず
彼女が何か隠していることを瞬時に悟った。



 長く入り組んだホテルの廊下で、下着姿のユカが迷子になっていた。
薄暗い廊下は、それほど暖房が効いておらず、ブラとパンティのみの
格好では肌寒すぎる。このままだと風邪をひきそうだ。

『どうしよう・・・』
古い貴族の家屋敷を改装し、ホテルとして使えるようにした内部は
近代建築のように順序良く部屋が並んでおらず、おまけに
廊下もあちこち複雑に折れ曲がっているせいでひどく迷いやすかった。

うっかりしたミヅキにコーヒーをかけられてしまい
慌てて服を脱いだユカは、着替えを探していたのだが
彼女に教えてもらった二部屋先の扉の向こうが、廊下だったことに
気がついた時はもう遅かった。

『あれ?』
慌てて戻ろうとしたが、オートロックのドアは外からでは開かない。
「ちょっと、ミヅキさん。ミヅキさん!」
幾度かドアをドンドン叩いてみたが、中から反応は無かった。

やがて、聞き取れない外国語で話し合う男達の声が
廊下の曲がり角から近づき、下着姿のユカは
慌ててその場を離れてしまったのである。


そして今、ユカはシーツを運ぶ台車の陰にしゃがみ込んでいた。
ライトの消された奥の通路は、暖房も無いためひどく寒い。
汚れ物のシーツをまとってみたが、気休めにしかならなかった。

いや、震える理由は寒さだけではない、不安のせいもあるだろう。
このまま誰かに見つかったら。それが運悪く悪い人だったら・・・
最悪の場合を想像し、とてつもない恐怖が湧き起こる。

「どうしよう・・・動けない・・・・・」
そしてユカは気がついた。今の状況が自分の立場そのものなのだと。

一人では、何も決めることができないメイドの身分。
健一郎との関係は、自分からでは何も変えることができない。

彼に向かい、結婚して欲しいと言えるだろうか? 言えるはずがない。
それに今はまだ奥様がいる。冴と別れてくれと恥知らずに頼むのも
むろん彼女にできるはずがなかった。

売られてきたメイドの立場では、何の決定権も無いのである。
全ての判断と選択は、健一郎に任せるしかない。
結局、廊下でしゃがんだまま震えている今の姿と同じなのだ。

『コツコツコツ・・・』
どこからか、足早な靴音が近づく。ぎゅっと身を固くするユカ。
角を曲がった靴音が、明かりの消された廊下へ、こちらへ向かってくる。
見つからないように頭からシーツをかぶってみたが
布の塊がブルブル震えていたのでは、すぐにばれてしまうだろう。

『コツコツコツコツ・・・』
台車の脇を靴音が通り、止まる。目の前に誰かが立っている気配がする。
小さな鳥肌がぷつぷつ立ち、ユカの歯がカチカチと小さく鳴っていた。
『助けて・・・ご主人様・・・』

「・・・・・ユカだね、見つけたよ」
健一郎の声に、ユカは顔をぱっと上げた。望んでいた主人の顔がそこにあった。
離れて一時間も経っていないはずなのに、ひどく懐かしかった。
「ユカだったらどっちに行くか考えたら、すぐ判ったよ」

「ご主人様ぁ!ぅわぁぁぁぁん!」
下着姿のまま、ユカは健一郎に抱きついた。涙があふれて止まらない。
「バカだな・・・泣く奴があるか・・・」
自分だけ泣いているのがほんのちょっぴり悔しくなった彼女が言葉を返す。
「ご主人様こそ、ぐすっ・・・今日は、泣きませんでしたね・・・」

以前、デパートではぐれた時のことを言っているのだろう。
「ああ、ユカが困ってるんだ。泣いてるわけにはいかないよ」
「ううっ!うわぁぁん、あぁぁん!」
喜び、懐かしさ、安心感、そして彼の成長。
色々な感情が混ざり合ってしまったユカは
しばらくの間、健一郎の胸に抱かれ、泣き続けていた。


その頃、ミヅキはトイレの中でうずくまっていた。

「ゆ・・・・・許せない・・・・」
隠しごとがばれた彼女は、健一郎に尻の穴を万年筆で犯され
ユカに何をしたのかを、白状させられたのである。
「おねえ様にしか、許してなかったのに・・・」
彼女の瞳は、憎しみと復讐の色に燃えていたのだった。

          ◆

 あれから数時間が経った夜遅く。
ホテルの寝室でユカはベッドに横たわり、静かな寝息を立てていた。
部屋の中は暗く、街灯のわずかな明かりが漏れ入る程度の光しかない。

そして、その眠っている彼女へ近づく影がひとつ。
傍らに大きな空のトランクをゴロゴロ引いて近よる者は
他ならぬミヅキであった。

『何も知らないでよく寝てるわね。』
邪悪な笑みをニタリと浮かべると、彼女はユカのほっぺたを2、3回ペチペチ叩く。
起きる気配を全く見せない姿に、ミヅキは睡眠薬の効き目を確信した。

後はトランクにこの娘を詰めて外に出、そこらをうろつくゴロツキへ
好きにしてくれと渡してしまえばお終いだ。

『ったく重いわね。少しはダイエットしなさいよ・・・』
小声で理不尽な文句をつぶやきながら、何とかユカをトランクに詰める。
『さてと、それじゃ・・・』
そう思って彼女が立ち上がった途端

『パチッ』
「うっ!」
不意に部屋の照明が点灯した。眩しさに細めた目がようやく慣れた時
ミヅキが見たものは、壁に寄りかかって立っている健一郎の姿であった。

「俺の宝物をカバンに詰めて、いったいどこに行くつもりだ?」
「これは、その・・・」
何とかごまかそうと言いかけて彼女は気がついた。
ただ止めるだけなら、カバンに入れる前に止めればいいはずだ。
だが、彼は言い訳の出来ない状況にさせてから声をかけた。
判っていてそうした。彼のニヤニヤ笑いがそれを物語っている。

「単純過ぎるほど一途だな。だが・・・」
腕組みを解いた健一郎は、ゆっくりとミヅキに歩み寄る。
「そのおかげで、お前が何を考えてるのか
 これから何をするのか、想像も予想も簡単なんだよ。」

健一郎の瞳が、サディスティックな色へと変化する。
冴がミヅキによく見せる『恐怖を与える快楽』を知る人間の目。
いや、それ以上の威圧感を発する瞳。

獲物を追い詰めた肉食動物の眼差し健一郎は
悲鳴も忘れて固まるミヅキとの距離を縮めていったのだった。

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