前の章へ 本を閉じる 後書きへ 


『ひとときの夢』 セイドメイドシリーズその3

byオゾン

最終章 「愛したい想い、そして・・・」

 雨が遠ざかろうとしていた。
はるか遠くでぶつぶつ独り言を呟くように遠雷がなっていた。
愛の行為が終わり、すっかり疲れきったユカが
主人の左腕を枕にして小さな寝息を立て
そして右腕には健一郎に抱かれ、寄り添う冴の姿があった。

健一郎が、ウエーブのかかった冴の黒髪を撫でながら言う。
「どうだ? お前とユカの違い、わかったか?」

 冴はじっと考えていた。
顔や肉体的な造詣を指していないのは、なんとなく分かる。
彼からの行為に、喜びを感じる立場も同じだ。
では、いったいどこが違うのだろう?

冴はしばらく間を置いた後、弱々しく首を横に振った。
ふぅ、と仕方なさそうにため息をついた健一郎が説き始める。

「おまえは、愛されたがるばかりで、愛することを知らないんだ」
「・・・・・どういう意味?」
「まだ判らないのか?おまえはな、たとえ屈服されられても
 『して欲しい』ばかりで『してあげたい』とは考えない。
 要求はしても奉仕が無いんだ」

 彼の言う通りだった。
冴が服従している時の奉仕は、全て快楽の見返りを求めての行為だった。
今さっきも、冴は愛撫を求めるばかりで
健一郎やユカを気持ちよくさせようとはしなかったし
そんな事は思いつきもしなかった。

「自分の満足は後回しで、打算無しに尽くしたがる。
 愛した相手の喜びに幸せを感じる。それがユカなんだ」
そう言ってから、ふっと自嘲気味に笑った健一郎が先を続けた。
「まぁ、俺がこういう事に気がついたのも、こいつのおかげだがな」
ユカの寝顔を眺めつつ、健一郎が彼女の髪を撫でる。

 愛はもらうだけではない。与える愛もあるのだ。
今まで自分が求めていたのは、片道のみの愛情であり
自ら進んで誰かを愛する立場になるのは考えてもみなかったのだ。
健一郎の言葉から、冴はようやくその事に気がついたのだった。

だが、冴は少し悲しそうに顔を伏せると
「ごめんなさい。でも、あたしにはできない生き方だわ」
と、つぶやいた。

 幼いころからのエリート教育や厳しいビジネス戦争。
いつも相手より上の立場にならなければいけないという厳しい世界。
競争につぐ競争の人生を生きてきた彼女にとって
誰かのために身も心も砕いて奉仕する生き方は無理なのだった。

          ◆

 朝、雨上がりに晴れたすがすがしい空と
朝日が木々の合間から差しこむ桐ノ宮邸の玄関口。
そこには出かける冴を見送る健一郎とユカの姿があった。
「もう、行くのか?」
「ええ・・・急な仕事が入ったから」
急な仕事。それは親元企業から強制された離婚を
断る為の説得であったが、彼女はあえてそれを黙っていた。

「頑張れよ」
健一郎が優しくそう言った後、一つ加える。
「まぁ、手強い相手なのは、おまえ自身がよく知ってるだろうがな」
冴が何をしに行くのか、彼はすっかり見抜いていたのである。

「ふふっ、勘がいいのは相変わらずね。それじゃ、そろそろ行くわ」
見透かされたのを恥じらうように彼女が頬を染め
照れ隠しの笑いを口元に浮かべた。

「あ、それと・・・」
老執事が後部のドアを開けて待つ車へと向かった冴がもう一度振り向く。

ユカの瞳を見つめ、微笑みながら冴が一言。
「彼のこと、しばらくよろしくね」
続けて視線をキッと強くし、もう一言。
「あくまでもっ、しばらくの間だけよ」
「は、はい」
念押しの忠告を加えた冴に、少しびくつきユカが返事をした。

 二人のやりとりをクックッと含み笑いをさせ、眺める健一郎。そんな彼に向かい
「あなただって、ずっとこのままで居られる訳じゃないのよ・・・」
と、冴が今の生活を続けるのは許されないことを匂わせた。

 確かに、今の暮らしのままでは、そのうちいつか貯えも尽きるだろう。
屋敷や敷地が広いぶん、維持費も多くかかるのだからそれは当然だ。
何もせずに、社会から切り離されたままでいる生活は
延々と続けていられるはずは無いのである。

そして冴の忠告には、健一郎とユカの関係が
社会的に見て不自然だという事実も含まれていた。

 現実を向き直させる言葉を残し、黒塗りの高級車は走り去っていった。
車の姿が消え、エンジン音も聞こえなくなった頃、ユカが不安げに言葉を漏らす。
「ご主人様・・・」
「ああ、判っている。いつかはユカと離れる日が来るだろう」
いつになく重々しい真剣な顔で健一郎は後を続けた。

「だが、ずっと一緒に暮らしたい今の気持ちは本物だ」
「はい・・・」
健一郎の言葉を聞き、ユカは嬉しそうに恥じらい、そっと返事をした。

 今の現状が、ひとときの夢のような
ほんの一時的な関係なのだという事実を知りつつも
二人の心は永遠の愛を望んでいたのだった。


「ひとときの夢」(完)

 前の章へ 本を閉じる 後書きへ