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受験を乗り越える

子どもが成長していく中で、受験という試練を何度か経験することになります。受験に成功すれば大きな自信につながりますし、もし失敗すれば挫折感を味わうことは避けられません。できればどの子にも、しっかり受験を乗り越えて欲しいと願わずにはいられません。

●中学受験

 子どもが小学校高学年になると、私立や国立の中学校を受験させようかどうか迷う保護者の方がいることと思います。中学受験のメリットは、地域の学校に通うより子どもの状況に適した教育環境を選ぶことができる点です。特に、勉強や芸術やスポーツの面で秀でたものを持っていてそれを伸ばしたい場合、あるいは、いじめなどの理由で地域の友人関係をリセットしたい場合には一つの有効な選択肢となるでしょう。一方でそのデメリットは、小学校の段階から受験のストレスを味わうこと、場合によっては不合格の挫折感を経験してしまうこと、そして地域の友人関係を失ってしまうことなどがあります。

 教育問題を専門とする有名な弁護士で、学生時代からの私の友人である峯本耕治さんは、中学受験について「少なくとも受験に対する本人の意欲が明確であることが必要です。親の意思で進めた場合にデメリットが表面化しやすいのです」と話しています。私も同感です。

●高校受験

 大阪では、公立中学から公立高校を受験する場合、調査書(内申)の評点が大きなウエイトを占めることになります。そのため、ペーパーテストの実力だけでなく中学校内での成績が重要となります。中学3年次の成績が調査書の点数となるのですが、実際には1、2年時の成績の延長にこの結果が出るものです。できれば中学1年からよい結果を出しておくべきです。

 しかし、どうしても3年生になってから実力が伸びるというタイプの子どももいるかと思います。そんな場合は、調査書よりも入試本番(正式には学力検査)の成績を重視する学校を可能な範囲で選んでください。大阪では、現在様々なタイプの入試の形態があります。一人一人の子どもに最も適したパターンをよく研究してください。

 私立高校の入試の結果は、一部の超進学校を除いて、中学校内での成績と模擬テストの結果によってほぼ決まってきます。中学校での懇談や塾の懇談でOKをもらえる高校なら、合格可能性は極めて高いと言えるのではないでしょうか。

●大学受験

 私が岸和田高校に勤務していた頃、大手の教育出版社が整理した何千人もの高校生の模擬テストの成績に基づいて、大学入試に向けた勉強方法を分析したことがありました。その結果、公立高校から難易度の高い大学に合格するためには、各学年でいくつかのポイントを押さえることが重要であることがわかりました。

 次の文章は、当時各学年の生徒に送ったメッセージです。参考までにご覧下さい。

1年生へ

 ポイントは一日2時間以上の学習習慣の確立

 高校3年間で最も大きく成績の順位が入れ替わるのが1年生の秋であることが、校外模擬試験の分析データからわかっています。これは、中学までに蓄積した学力が底を尽き、高校で養った学力が現れてくるためと考えられます。この時期、ここまでの学習計画の見直しや調整をする必要があるのです。まずは、学習時間を確保しているかどうかを確認してください。

 上記の分析データからわかることは、「中学の時は勉強しなくても成績のいい人がいた、しかし、高校では一日2時間以上の学習習慣を確立した人が成果をあげる」という事実です。秋は、学習の量と質と方法を見直し、学習計画の再構築をする時期なのです。

2年生へ

 ポイントは2年生の秋に受験生になること

 分析データからは、2年生の秋に受験態勢に入った生徒の希望大学への合格率が60%を越えるのに対して、3年の春からの生徒の合格率は30%台にまで下がることが記されています。3年からは誰もが受験を意識し始めるということです。

 2学期の文理系選択の時期に目標大学を明確にし、修学旅行後には受験勉強をスタートさせることが進路希望実現のために重要なのです。

3年生へ

 目標を高く持ち続けること

 昨春、A大学に現役合格した28人のうち、8月の校外模擬試験でA判定かB判定をもらっていた人はわずかに6人、11月でも7人です。多くの人はここからさらに実力を伸ばし、入試本番に間に合わせたのです。途中の評価にかかわらず、目標を高く持ち続けること、自分の潜在能力を信じることが重要なのです。

 

●上の息子の高校受験失敗と、大学受験での小さな成功

 上の息子が中学3年生になったとき、高校受験に際して本人は公立の進学校に進みたいと思っていました。それなりに努力もし、自分の実力に見合ったところを受験したつもりでしたが、結果は前期試験も後期試験も不合格となりました。私は仕事柄、これまで何百人何千人の中高生の受験に係わってきましたが、自分の子どもを見ることはつくづく難しいと痛感しました。子どもへの評価が一割方甘くなること、私の具体的な助言が「いつでも聞けること」として効果が小さくなってしうことなどを振り返って感じました。

 最終的に、家からも近く、自由な校風の、私立の桃山学院高校に進学することになりました。この学校で、部活に励んだり、生徒会の会長をしたり、先生方にかわいがってもらったりして、たいへん充実して過ごせたようです。

 大学受験に際しては、国公立大学の文系学部を第一志望にしつつ、事前に関関同立に挑戦しておくという方針で臨みました。3年生になってから少しずつ成績も伸びてきて、秋に受けた模擬試験で、ようやく国公立大学のギリギリのレベルにまで達した様子でした。ところがある日、本人は関西大学と同志社大学をAO入試で受験しておきたいと言ってきました。AO入試は、学力試験の得点で合否が決まる従来の一般入試とは異なり、志望理由書や面接などにより出願者の個性や適性に対して多面的な評価を試みる入試制度です。伝統ある大学のAO入試では、出願の際に、論文やエッセイ、高校以前の実績を相当量提出させて一次選考を行います。二次選考では一人当たり30分以上の時間をかけて面接をする場合が多いようです。

 この入試において、これまでいくつかの小さな賞をもらっていたことや、中学高校で生徒会と部活をしていたことがプラスになりました。一次選考用に本人が書いた論文やエッセイを読んで、もしかしたらうまく合格できるかもしれないと私も思いました。結果的に関西大学政策創造学部と同志社大学政策学部の一次選考に合格し、二次選考を経て関西大学の方に入学手続をすることになりました。

 私としては経済的なこともあって、引き続いて国公立大学への挑戦をして欲しいと思っていました。しかし、本人にとってこのAO入試が自分の力を振り絞って合格した充実感にあふれていたことと、関西大学がとても気に入ってしまったこともあって、この時点で進学を決意したようでした。

 一次選考の時に提出したエッセイは次の通りです。

 

 

(AO入試 一次選考 エッセイ)

 

 父の転勤にともなって4歳から6歳までオーストラリア・クインズランド州の地方都市トゥーンバで過ごした。この2年間で、最も印象に残っている出来事は、十数カ国のアジア人らが力を合わせて開催した旧正月を祝うお祭り、「マルチカルチュアルフェスティバル(多文化祭り)」に参加したことである。

 ショッピングセンターの駐車場につくった特設ステージでは、民族衣装のファッションショーや、エジプトのダンス、インドネシアの楽器演奏などが次々と演じられた。また、そのまわりの屋台では、韓国の焼き肉、マレーシアのカレー、シンガポールのサテーなどが売られ、あっという間に売り切れていた。また、多民族文化ストールと名付けられた一角では、中国が書道、日本が茶道、ペルシャが織物を観客に紹介した。

5家族19人しかいないこの町の日本人も、みんなで協力して茶道を披露した。オーストラリア人、アジア人を問わず茶道は多くの観客を感動させた。

午後3時から始まったこのお祭りは、数千人の観客でごったがえす中、夕方7時に行われた中国の獅子舞と爆竹の大音響の中で幕を閉じた。イギリス系の白人が多いこの町で、初めて行われたアジア人のお祭りだった。

 父は、日本人を代表してこの祭りの実行委員を務めていた。5歳だった私は、父が飾り付けをつくったり、母が茶道の道具を準備したりするのを手伝った。お祭り自体が心はずむものであったし、何より日本人の子どもが全員そろって遊べることが大きな楽しみだった。しかし、この企画の背景にあるものを幼いながらも私は感じていた。

 父はマルチカルチュアルフェスティバルのことを次のような文章で書き残している。「実はこの祭りの目的は、アジア各国の文化を紹介することで、移民として急激に数を増やしているアジア人と、この町の保守的な白人との間の摩擦を小さくすることにあった。この町に住むどのアジアの人たちも、人種問題への危機感を持っていた」

 この祭りの数ヶ月前、観光でトゥーンバに立ち寄った日本人男子学生が、町の中心部でオーストラリア人の非行グループに暴行されるという事件があった。この非行グループが日本人学生に投げかけた差別語から、人種偏見が根底にあることが察せられた。このような小さな事件は時々起こっていた。所得の安定している日本人駐在員と比べ、事業を始めたばかりの人が多い他のアジア人への風当たりはもっと強かっただろう。

親切で友好的なオーストラリア人の中に少数のアジア人への差別者がいたこと、そして、多くのオーストラリア人の心の一部に白人中心主義の名残があったことを、日常の中で私たちは感じていたのである。

産業の盛んな地域に労働力と資本が集まりその地域はさらに栄える。このようなことは人類の歴史の中で、幾度となく繰り返されてきたことだ。グローバル化した現在では、これが国境を越えた人の移動となり、民族問題や人種問題に発展しやすくなっている。

また、地域社会の中で、多数派が少数派を排除することは、世界のあらゆる地域で普遍的に生じてきたことである。集団の中に異質なものが入ってきたときに摩擦が生じるのはある程度自然なことだ。大切なのは、異質なものを受け入れる度量をもつことと、受け入れられる努力をすることである。そして、移民も経済的に自立できるような富の分配が可能な社会とすることだ。

日本は今、経済安定期にあるとともに少子高齢化社会に突入している。経済高度成長期にある他のアジアの国々と比較すると、日本経済にはかつてのような勢いは無くなっている。しかし今も尚、日本が経済大国であり技術大国であることは変わりない。他の国々の人たちが移住したいと思う国の一つであり続けている。また、日本にとっても今後の労働力不足を補うためには移民を受け入れることが不可避だと私は考えている。

ここに必要なのは円滑に移民を受け入れるためのシステムの整備である。技術職・専門職の外国人に安定した雇用を保障すること、留学生受入数を増やして日本の企業や官公庁に就職するルートを確立することなどが今少しずつ進んでいる。また、全ての日本人が異文化理解を促進できる場を設定することも必要である。このようなシステムを今後いくつも用意することだ。

このシステムのことを政策という。私はこの「国内の国際化政策」に関心を持っている。